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レビュー:「月刊グランドパワー 2013年8月号 日本陸軍八九式中戦車」

Twitterにて行うとやたらと長くなりそうなので、初のブログ更新はレビューにて行うこととなりました。
とりあえずこれ以上の更新については、何をするかすらあまり考えていないので、今後については過度な期待はなさらぬようご注意ください。


グランドパワー2013年8月号本誌 「日本陸軍八九式中戦車」
(ガリレオ出版 図版提供:吉川和篤/国本康文 文:国本康文)
GROUND POWER (グランドパワー) 2013年 08月号 [雑誌] 総評:★★★★☆




さて、今回のレビューはタイトルの通り、ガリレオ出版の「グランドパワー」誌の八九式中戦車特集です。
お手に取られた熱心なファンの方なら分かると思いますが、今回の特集は旧軍戦車界の権威である国本康文・吉川和篤両氏によるこれまでの研究内容と多くの未公開写真で、本誌の4/5を占めるほどの大ボリュームとなっています。
その内容は開発の歴史から細部の装備など多岐に渡り、今までの同人誌などで散見されていた研究がひとまとめにされているので、しばらく八九式中戦車についてはこの一冊で事足りるほど総合的にまとめられていると考えていいでしょう。

その詳細については自身で「グランドパワー」を手にとって確認していただくとして、個人的にひときわ目に付く内容としては戦車砲についての一連の話と「八九式軽戦車が中戦車と名称変更される経緯」でしょうか。



まずは前者の話からですが、八九式中戦車に搭載された「九〇式五糎七戦車砲」は、元々昭和15年3月に設計が着手された、試製一号戦車に搭載された試製五糎七戦車砲を改良したものですが、旧軍戦車の特徴と言える肩当て照準機構はこの頃から検討されており、昭和2年7月の試製一号戦車上に於ける射撃試験によると「運行間の目標の追撃が困難である」という意見を元に、高低の照準機構を廃して肩当て照準に変更した新設計砲を造兵廠に依頼したことから始まりだったようです。
肩当て式の照準機構はその後、九七式中戦車新砲塔型に搭載された「一式四十七耗戦車砲」まで採用されており、この機構はほぼ終戦まで使用されることとなります。

一方、九〇式五糎七戦車砲に搭載される砲弾は、まず「九〇式榴弾」と、訓練にて使用する「九〇式代用砲弾」が同時に制式化され、その3年後に「九二式徹甲弾」が正式化されることとなります。
九〇式榴弾の主な用途は「簡易なる野戦築城の破壊と陣馬の殺傷」と兵器諸元表には記されており、そのため敵の掩体壕を破壊するために命中とともに爆発する瞬発信管ではなく、短延期信管を使用していました。

あくまで「簡易なる野戦築城の破壊」が目的なのでコンクリート壁などに覆われた強固な掩体壕の破壊には適していませんが、土や木材で構成された塹壕や簡易機関銃陣地の破壊には十分適しており、そのような砲弾がいち早く採用された点を考えると、この戦車砲の目的の位置づけがここでよく分かるでしょう。

そして3年後に採用された九二式徹甲弾は「敵戦車装甲車等装甲目標に対し装甲板を侵徹し、内部破壊並びに殺傷効力を企図するに供す」とあり、この徹甲弾が「敵戦車ならびに敵装甲車に対向するため」に設計されたことが分かります。
そして気になる九二式徹甲弾の威力は、八九式軽戦車と輸入していたルノー乙型を使用した射撃試験の結果「二十耗以下の装甲に対し、遠距離から十分な侵徹威力を有し、車内に及ぼす炸裂威力大なり」と結論付けられています。

当時はあまり戦車用の装甲も発達しておらず、実厚でも20mm以上を有した強固な戦車がいなかったため、九二式徹甲弾の貫徹力でも敵戦車に対し十分に効果が期待が出来ました。
ただし、日華事変が勃発した際、持ち込まれた八九式軽戦車が搭載していた砲弾は全て九〇式榴弾で、出動した戦車第一大隊、第二大隊、第五大隊の三隊全てが「徹甲弾を1/3程度は搭載すべし」と戦訓として報告しています。

なお「九〇式五糎七戦車砲」は、その後チハ車こと「九七式中戦車」にて採用された「九七式五糎七戦車砲」と比較された際、改良された点として「薬室が大きくなり、結果初速が70m/sほど向上した」と言われている事が多いですが、どうやらこれは間違いであるようです。

九七式五糎七戦車砲の正式上申時、初速は九〇式五糎七戦車砲と同じ350m/sであり、薬室も正式制定時には九〇式五糎七戦車砲と同じものでした。
更に、昭和14年の技本作成の武器諸元表にも「九七式五糎七戦車砲は九〇式五糎七戦車砲と砲内諸元同一にして、操砲を容易なる如く改正せられたるものなり」と記述されており、それ以降も薬室の改修された気配が無いことから、当初から薬室は同一のものであると認識した方がよさそうです。

では何故初速が変わったと後世に伝えられたかは、その後九二式徹甲弾を改修した「一式徹甲弾」が採用された際、この初速が420m/sであったために伝言ゲームと記憶の陳腐化で勘違いをされ、九七式五糎七戦車砲の事自体だと間違えられたまま発表されたためと国本康文氏は指摘しています。



そして最後に後者の「八九式中戦車の名称」についてですが、一般的に言われる「制式採用の際に軽戦車から中戦車へと呼称変更した」というのは実は間違っており、実際は重量ではなく「九五式軽戦車採用の際の名称決定による分類変化」によって呼称変更されたのではという説が、少なくとも商業誌では始めて提起されました。

昭和10年の5月28日には八九式軽戦車の名で26輌の製造手配が陸軍兵器本廠へ発注されており、そのうちの23輌がディーゼルエンジン搭載型の「乙型」として調達されています。このことから、八九式軽戦車の採用後すぐに中戦車へと名称変更されたという説は容易に否定でき、甲型・乙型と別れたのと、軽戦車から中戦車と変更されたのがほぼ同時期に行われたのが容易に想像出来ます。

八九式軽戦車が中戦車に名称変更されたのは昭和10年の5月31日に行われており、当時試作中の重量6トンの機動戦車の名称が「九五式軽戦車」と内定されたため、重量11トン級の八九式軽戦車を軽戦車と呼ぶには不適当との空気となり、更に同時期に重量26トンの「九五式重戦車」も研究されていたため、重戦車とも呼ぶわけにはいかなかったため、新しく「中戦車」という区分を作成し、そこに八九式を当てはめたのでは、と国本氏により推測されています。



あまりに内容が膨大なため、中途半端な感はありますが、私からの内容紹介はここまでとさせてください。また、全てを私が紹介しても本を買う楽しみが減ると思いますので、これ以上の情報はご自身で手にとって確認していただいたほうが確実かと思います。

総評として、率直な感想としては今回の「グランドパワー」誌は旧軍戦車ファンなら持っておいても損はない内容ではないでしょうか。
内容自体は国本氏の八九式中戦車同人誌数点を持っている場合は被るところは多く、目新しさは薄いかもしれませんが、何より一冊にまとまってこのお値段というのが大きな利点です。
文章内容としては初心者向けかと言われると少し難解な記述が多く、決して万人向けの本ではないと思います(特にガールズ&パンツァーから始めてこの界隈に興味を持った方だとまだ「買う必要が薄い本」ではあると思います)が、資料的価値は高く、吉川和篤氏による乙型の未公開写真も多く掲載され、写真をパラパラと見ているだけでも楽しめると思われる点はありますので、あくまで「初級者向け」と念を押した上で、是非とも手にとって見て欲しいと結論付けるところであります。

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